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Author:bana
広島の建築設計事務所に勤務中。
日々の雑感。

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ROUNDABOUT JOURNAL vol.8   2009.05.30

福岡経由で送られてきたROUNDABOUT JOURNAL vol.8(いのくちに感謝)。

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8


せっかくなのでレビューを。

気になった記事をピックアップして簡単にレビューしてます。
自分自身は組織設計の地方事務所にいる(一年目)ので、そこは前提として読んでやってください。

特集はマイ・アイデンティティ。広く捉えられるテーマで、それぞれの考え方が比較できて興味深い。

まず、冒頭の山本里美さんのインタビューでは、デザイナー、そして一人の人間としてのスタンスに
共感した。"クリエイションって、その人の生い立ちの全てだと思っています"という。
ファッションと建築という違いはあれど、素直に頷ける。

個人的なことで恐縮だが、"君の原風景はなんだ?"という問いかけを思い出した。
自分自身も設計者としてのスタンスをどう形成していくかについて、考えることがままあるのだが、
まだまだ勉強も足りないし、もっとがむしゃらにやっていきたいと思える熱いインタビューだ。

次に気になったのは五十嵐淳さん。
社会的な環境に働きかけるよりは「天国」のような完璧な空間を目指せばいいんじゃないかという。
確かに彼のある意味達観した考え方は合理的であるようにも思えるが、
僕自身は藤村さんの言っている設計の可能性を信じてみたいと思う。
建築が社会にかかわっているからこそできることがあるはず。

また、山梨知彦さんは、組織事務所ならではの可能性やオープン・プロセスについて語っていて、
僕自身が組織事務所にいることもあり、とても興味深い。
紹介されているプロジェクトもかなりすごいことをやっていると思う。
ただ、組織事務所でどこまでやれるかという可能性と限界について、当然僕自身はほとんど把握していないので、
山梨さんが考えるデータベース的建築家像については希望に近いものとして考えている。

続いて、"若手建築家のアジェンダ@広島"。
気になったのは広島のローカリティについてのこと。当然話題が出ると思って読み進めていると、
出るには出るが、やはりシンポに参加した建築家の中からはあまり出てこない。
組織事務所に所属して広島にいる以上、広島の建築家がどう考えているかは非常に気になっていたので残念ではある。
広島らしい建築というよりは、建築の方が新たな場所や意味を付加したり、つくりだしていくような建築のあり方の方が可能性を持っていそうだ。

最後に、"アーキテクチャとは何か!?"、"アーキテクチャを設計する方法"。
アーキテクチャはアフォーダンスにも通じそうな概念だが、ここで面白かったのは集合知のこと。
乾さんが発言したように苓北町民ホールのように集合知が「得体の知れないもの」として建築という形を成し、
できたものに対してある種の説得力をもたせる、というのは逆説的で興味深い。
社会との繋がり方との一つの形として、山梨さんのところで出てきたオープン・プロセスの話にも通じてくるように思う。
このアーキテクチャという概念は気になってきたので個人的に調べてみようか。

以上、かいつまんで簡単に見てきたが、それぞれの主張が浮かび上がっていると同時に、相対的に
浮かび上がってきた藤村さん自身のスタンスについても興味深いものがあったと思う。
自分のアイデンティティについて思考を続ける励みになりました。とても面白かったです。

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続・下田菊太郎   2009.05.27

文明開化の光と闇

いきなり、写真使いまわしです。

以前に紹介した"文明開化の光と闇 建築家下田菊太郎伝"をようやく読み終わったので
以下、簡単にレビューなど。

下田菊太郎という建築家の一生を通じてドキュメンタリー的に書かれており、日本の近代の一端が分かるようになっている。
まず、下田菊太郎は本文中ではとても実直な性格に書かれている。純粋に建築が好きで建築のことを考え、行動している。

それと対照的に書かれているのが辰野金吾であり、日本の近代建築史の表舞台に立っていた人々。
そしてF.L.ライト。実際、ライトの変人ぶりは有名ではあるが。

物語の前半は下田のアメリカ時代がメイン。
下田はアメリカで必死にシカゴ派の建築を学び、バーナムの事務所で多くの実績をあげる。

中盤~後半は帰国し、アメリカで学んできたことを日本の建築界に浸透させようとするが。。。
帰国後は不遇すぎるといっていいくらいであり、辰野をはじめとした日本建築界は彼を無視し続けた。

といった感じ。タイトルの光と闇、といっても実際に読んでみると闇の印象があまりに強すぎる内容のような気がしなくもない。

そして、日本の近代建築史がいかに歪んでいたか。

当然のように社会に対して働きかけるには大きな力を通してしかない、という近代日本の状況は
個人が直接社会とつながっているとも言われる現代とは対照的であり、後半の下田の不遇の人生はそれを象徴している。
近代といっても市民という存在(例えば、下田菊太郎という在野の建築家)は不在であったと言える。少なくとも日本の建築界においては。

そのような"闇"に対し、下田の提案した帝冠併合式が後年、実際の設計として取り入れられるようになっていくという事実が"光"とまずは捉えてよいのだろうか。
自分自身では、帝冠様式について批評する気はさらさらないが、

ただ、多くの建築関係者が辰野という力の下に集っていたのに対し、下田は自分の論をもち、
それを貫いていた、ということが、タイトルの光と闇の"光"の部分に繋がっているのだと考えている。




余談ですが。。
もし、下田がアメリカから持ち帰ったRC造を日本がもっと早く取り入れていたら、確実に歴史が大きく変わっていただろう。関東大震災の被害も、もっと抑えられていたかも。
10年ぐらい日本の建築は進歩しているだろうか。選ばれなかった歴史について考えてみるのも楽しいもんですね。

この本、わりと古いのであまり見かけないかもしれないけど、なかなかおもしろいです。
大学で日本近代建築史とかやったらマニアックでおもしろいと思うんだけどな~とか、
(もう学生ではないのに)考えてます。

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